図工について考え、これから勉強していこうと思っている小学校教師の日記


by hita61
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 私の勤務校では、今年度から「言語活動の充実から確かな学力を育む授業の創造ー全教育活動をとおして言語力向上を目指す単元開発−」という研究テーマで文部科学省教育課程特例校指定と埼玉県国語教育研究会委嘱を受けている。そのこともあり、私の頭のどこかにいつも「言語活動」という言葉がある。
 図工における言語活動とはどんなことなのか私なりに分かっているつもりだが、文部科学省の奥村教科調査官にお会いしたとき、どうしても「言語活動って何ですか?」と聞きたくなってしまった。だから、聞いた。そうしたら、紙と鉛筆を貸してと、表や絵、よい例と悪い例などを示しながらを教えてくださった。

1 教科目標を達成するための手段の一つであること。
2 「生きる力」を「教科目標」で育成していく。
3 例えば活動が20分、言語活動が25分を行ったとする。6年生ならば、年間50時間だから、25分×50で年間30時間も使うことになる。これでは、いけないこと。
4 活動40分、言語活動5分でよい。なぜならば、活動が豊かになれば、言える力も豊かになる。
5 下の図について。
 ある子が粘土を使った活動をしていたとする。その子は、「色」「形」「イメージ」などを考えて活動いていても、それを第三者は見ることができない。第三者が見ることができるのは、ピンクに囲まれた部分だけである。でも、言葉にすることによって、その子の考えていることが見えるし、それを聞いた他の子が何か思い付くかもしれない。つまり、言語活動をすることによって活動が豊かになる。そのための言語活動である。
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その他にも、京都市立宇多野小学校の授業の動画でも教えてくださった。

 頭の中を整理できたし、根本的なことはちゃんと分かっていたということが分かった。そして、文科省の奥村先生から直接言語活動について教えていただけたことで、安心した。
「おいしい物を食べないとおいしいとは言えない」「感動体験が大切」もここにつながっていくと思った。つまりは、話したくなるような環境づくり、授業づくりをすることが、活動を豊かにすることにもなり、言語活動の充実にもつながっていくのだと改めて思った。
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# by hita61 | 2010-11-04 21:38 | 他の場所
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 造形表現・図画工作・美術教育研究全国大会京都大会に行った。保育園から高等学校までの公開授業がある大きな大会だった。
 1日目は、京都市立宇多野小学校に行った。正門には、手作りの看板があった。ゴシック体で書かれている大きな看板はよく見るが、手書きの看板は初めて見た。
 宇多野小学校では、1〜6年までの14学級と特別支援学級の全15学級の公開授業が行われた。体育館には、児童の作品が展示されていた。先生が作った題材名の掲示の仕方には、工夫があった。私は、全学年の授業を一通り見て回った。だから、ひとつひとつは詳しくは分からないが、雰囲気や活動の様子は分かった。

 分科会は、中学年部会に参加した。愛知教育大学藤江充教授の指導助言の中に「資質と能力」についての話があった。私は下記のように理解した。

 資質と能力について
 「育成すべき資質や能力」と言われるが、育成する対象となるのは資質である。そして、これをやればできるというものが能力になり、資質と能力はかたまって新たな資質となり、それにまた能力がついてどんどん固まって増えていくものである。

 アプリを作った人は「自分が思ったことが形になっていくので楽しい。」と言っている。つくり出す喜びを経験させるのが図工である。鑑賞も通してつくる喜びになり、それが共通事項へとつながっていく。

 その他にも授業について具体的な指導助言があった。主な指導内容は、次のようだった。
3年「トントントンくぎうち名人」では、
くぎうちを楽しめばよい。
子どもが使いやすい金槌についても考えた方がよい。
今回使用していた太い釘は、子どもにとって打ち込むのが難しいのではないか。
釘をうって、木片をどうつかっていくのかが創造的な技能になっていく。
4年「焼き物のススメ〜京焼・清水焼を味わおう〜」では、
子どもが使っている茶碗の素材がどんなものであれ、自分が使っている茶碗をもってきて見比べてみるのもよい。
図工には、言えない世界がある。言葉では言えないけれども、わかるよねという世界がある。
4年「ありえない絵 美術館」では、
授業で意図したことはわかるが、「ありえない」という言葉には否定的なイメージがある。「あったらいいなこんな世界」というような投げかけの方がよかったのではないか。

 私は、「資質と能力」の話を聞いて、三澤先生の授業のジョハリの窓を使った認める評価と気付かせる評価によって社会的に生きる私がつくられ、広がっていく話を思い出した。

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# by hita61 | 2010-11-02 21:42 | 小学校
 新座市立八石小学校の田尾先生の授業を見学させていただいた。今までもたくさんの先生にお世話になり、授業を勉強させていただいた。しかし、2時間題材以外の題材を始めから最後まで見学することはなかった。つまり、その時間の児童の変容を見ることはあっても、題材を通しての児童の変容を見ることはなかった。また、私がいつも知りたいと思うのは、どのような導入をしたのかということだった。
 そこで、今回は田尾先生にお願いをして、一つの題材の始めから最後までを見学させていただけることになった。

 題材名「よみがる感動 そのときの私」(立体)第6学年 10時間扱い
 田尾先生が題材名を板書してから一番始めに言った言葉は、「感動したことがある?」だった。それから、大きなことでなくても、映画を見て泣いてしまったことも、ラーメンを食べておいしかったことも、引っ越しをした日に雪が降っていたことも感動で、感動はすごいことでなくてもあるという話を子どもとのやりとりの中でされていた。

 大きくなくても心に残っているものを形にしていくこと、学校で用意する材料、「私」を作るための必要な針金の芯の作り方の説明をされた。最後に、来週までに他に使いたいもがあれば持ってくること、そのためには何を作るかを決めておくことを指示していた。

 私だったら、学校で用意する材料の説明をしたときに、他にどんな材料が使えそうか子どもに投げかけて、あげさせている。でも、よく考えてみれば、何を作るか決まっていなければ、どんな材料がいいのかもわからない。ちゃんと子どもが材料を持ってこられるか心配で、ちゃんと材料をもって来られるようにそのような場を設けるのだが、裏を返せば、自分が安心したいためなんだと思った。
 子どもに任せるってことは、私の場合は言いたいことをがまんすることなのかもしれない。
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# by hita61 | 2010-11-02 11:02 | 小学校
 5月30日のブログでも「デザイン」について分かったことを書いたが、今日、もう一度デザインについて考える機会があった。

 「デザイン」と聞いてイメージするのは、色面構成、レタリング、マーク、ポスターなどだ。でも、私はデザインは、「社会とのつながり」「より豊かに生きるためもの」ではないかと思った。私が学んだデザインは、まず、その地域に住む人の生活、特色、町並みなどいろいろな調査をし、そこから必要なものを導きだしたり、企画がその地域にあっているのか考えたり、または、どうすれば地域にうけいれてもらえるような企画になるのかを考えたりしていくものだった。そして、それができてから、形にしていった。
 学校でやっているデザインは、きっと、この後半部分。色や形をつかって表現していくところだ。でも、本当に子どもの力を付けるのは、前半部分なのかもしれない。それは、社会とのつながりの中で考え、生まれてくるものだと思ったから。そう考えると、アートプロジェクトもデザインの仲間になるのかもしれないと思った。
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# by hita61 | 2010-10-28 00:34 | 他の場所
 社団法人日本美術教育連合が主催している日本美術教育研究発表会に行った。大学美術教育学会の研究発表の時のように、いくつかの部屋に分かれて一人20分程度の発表が9回行われた。
 人は、自分の経験をもとに物事を考えるというように、私にとって一番身近な学校現場に直接関係のある発表はイメージしやすかった。また、いろいろな発表の中に、人物名や語句、歴史的背景が出てきた。その中には、学んでいたことも多くでてきていた。でも、頭の中でつながらなかった。つまり、身についていなかったということだ。
 短い発表だし、ちゃんと聞いて記録もとろうと思い、スライドの写真を撮った。でも、たった1、2秒なのに、写真を撮るという動作をすることで、話の内容がよくわからなくなった。

 月曜日に三澤先生に自分の聞いた発表の報告をしながら、ちゃんと聞き取れていなかったことを実感した。

 質問することは、
分からないことを解決するだけでなく、自分の頭の中を整理することにもなること、
相手のペースになっている自分を、質問することで自分のペースに戻すことができること、
何か質問しようという姿勢で聞くと、より話が聞けるようになること、
を教えていただいた。

 今週末は、造形表現・図画工作・美術教育研究全国大会に行くので、そういう姿勢で分科会に参加しようと思う。それから、スライドの写真は、ここぞというものしか撮らないことにする。
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# by hita61 | 2010-10-26 23:33 | 他の場所
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 身体障害者福祉のための第52回埼玉県児童生徒美術展覧会に行った。
 この展覧会には、毎年行くように心がけている。特別賞になった作品が掲載された冊子も作られるが、やはり写真と実物を見るのとでは全く違う。
 埼玉県には年に3つの県展があるが、いろいろな題材がでてくるので、私はこの美術展が一番好きだ。そして、題材設定をした先生方の工夫やアイディアがとても勉強になる。
 美術展出品のため、賞をとるための作品作りになるのは本末転倒だけれども、やるからには、子どもの学びを重視しつつ、作品のクオリティーも高めたい。
 
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# by hita61 | 2010-10-25 23:58 | 他の場所
 大石北小学校の上尾市教育委員会委嘱図画工作科研究発表会に行った。清掃が行き届いていて、とてもきれいな学校だった。児童の作品に直接画鋲を刺さない工夫もされていた。
 三澤先生の講演もあった。講演の中に「話したくなる体験を」というものがあった。先日聞いた奥村先生の話を想起させる内容でもあり、環境作りが大切なのだと改めて思った。その環境は、人だったり、場だったり、用具だったり、いろいろだ。環境が整うと、子どもは自分から進んで学ぶ。言い換えれば、環境が整わないと、子どもは自分から学べない。
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# by hita61 | 2010-10-24 01:00 | 小学校
 国立新美術館で開催されている「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を見に行った。f0236373_183591.jpg
 私は、ゴッホの「アルルの寝室」を扱った授業をしたことがある。だから、「アルルの寝室」の実物を見てみたかったし、ゴッホに興味があった。ゴッホが画家として過ごしたのは、27歳から37歳で亡くなるまでの10年間しかなかったと紹介されていた。

 ゴッホは模写をたくさんしていた。同じ絵を何枚も描いていたし、すっかり同じ構図で農婦が持っている物がスコップか箒の違いだけのものもあった。初期の頃の絵の中には、人物の頭が大きくてバランスがとれていないものもあった。
 描く対象の比率や遠近感を描くために「パースペクティヴ・フレーム」を使っていたこと、「灰色のフェルト帽子の自画像」では、見たままを描くのではなく背景を変えたこと、ゴーギャンの「ブルターニュの少年と鵞鳥」では、ゴーギャンは感情を絵に表すことができると考えていたことなどが紹介されていた。
 作品名は忘れたが、青いテーブルの上にタマネギが置いてあるゴッホの作品があった。その作品を見ていたおばさま2人の「つくえの形がちゃんと取れていなくても、タマネギの形が歪でもいいのよねぇ。私の(絵の)先生も、いいって言ってくれないかしら。」という会話が聞こえた。

 学校では、まねはよくないイメージがあるけれど、まねもありなんだ。また、実物そのものの色や形でなくてもいいこと、そのときの自分の感じ方、気持ちを大切にすることなどを子どもたちに伝えるとき、ただ先生が話すだけでなく、このような画家を例にあげながら話すと説得力がでるし、子どもの中にスーッと入っていくと思った。
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# by hita61 | 2010-10-23 20:09 | 他の場所
 埼大付属小学校の教育研究協議会に行った。付属小の授業研究会に行ったのは初めてだった。
 分科会で「題材の特性に応じ、児童の活動状況を読み取る評価方法の工夫」の研究発表がされた。児童の活動状況に応じた評価の分析等は、大変参考になった。研究発表を聞くことで、私の頭の中で漠然としていたものを整理することができた。

 指導講評では、文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官の奥村先生の話が具体的でとても勉強になった。奥村先生は、一人の児童の目線から授業全体を見ていた。
 それは、
○先生の話を聞いている途中で、持っていた粘土で何かを作り出した→児童はあきてしまった→先生の話が長いと言える
○児童が赤いマジックを前から持ってきた、さらに、後方にある引き出しから折り紙を取り出してきた→誰に聞くこともなく自分で動いている→使いたいものが使える手立てがあると言える
○先生が近くの児童と話しているのを見た、先生が後ろの児童と話しているのを見た→先生が自分以外の児童と話している内容を聞いている→先生が一人の児童と話している言葉は、その一人の児童の支援だけではないと言える
○全児童を黒板前に集めて指導していたとき。
先生が一人の児童に構想の話を聞いた→話を聞いていた児童の目線が、発言している児童の拡大されたワークシートに動いた→ワークシートを拡大したことは、論理的に考えられる手立てになっていると言える
という見方だった。

 私も、一人の子を決めてその子がその時間に何を考え、何を学んでいるのかずっと見るときがあるが、そこから、環境づくり、支援等授業全体を見るには至らなかった。だから、奥村先生の見方がとても勉強になった。

 また、言語活動については、活動がないと言語は生まれないことを、「おいしいものを食べないとおいしいとは言えない。」という例えを使って話されていた。
 言語活動の充実としての教師の存在は、
1 低学年は、先生と話したい。先生と話すことで、「何が」「どこから」どのように」が整理される。
2 高学年では、論理的な会話ができる。先生と話すことで、新しい見方、方法、材料、判断ができるようになる。

 さらに、研究授業では、図工・造形から見ずに、子どもを感じるという姿勢で評価活動すること重要であること、
 共通事項については、
○色や形は、教師も子どもも作品を分析的に見る道具であり、教え込んだり、教え込まれる道具ではない
○ぼんやり印象で語っていたものが、形や色に着目させることで具体的に解説できたり、具体的に考えることができる
とも話されていた。

10分程度の指導講評だったことが残念だ。もっと聞きたいと思った。
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# by hita61 | 2010-10-22 23:10 | 小学校
 午前中に東御市梅野記念絵画館に行った。7月にスケッチ大会で行ったところだ。
 梅野絵画記念館では、「私の愛する一点展」という企画展が行われていた。この展覧会は今回で10回目とのことだったが、私は今回初めて知った。この展覧会では、個人コレクター所有の作品68点を展示している。
 私が一番興味を持ったのは、それぞれの作品の所有者の言葉が一緒に展示されていたことだ。その作品を所有するまでのいきさつ、普段はどんなところに展示しているのか、その作品を見るとどんな気持ちになるのか、なぜその作品が気に入っているのか等が書かれていたからだ。その文を読むと、興味が湧かなかった絵も、関心を持って見てしまうから不思議だ。これは、教育現場でも使えると思った。
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# by hita61 | 2010-10-14 14:57 | 他の場所