図工について考え、これから勉強していこうと思っている小学校教師の日記


by hita61
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カテゴリ:武蔵野美術大学( 13 )

 7月26日から短期集中で彫塑Ⅰの授業を受けた。課題は、石膏直付けで人体頭部の制作していくことだった。もちろん、人体頭部なんて作ったことはなかった。

 まず、デッサンをした。私は、デッサンは絵を描く勉強だと思っていた。だから、頭部を作るのにデッサンをするとは思っていなかった。また、デッサンをしたことがなかったので、どこからどういう風に描いたらいいのかもわからなかった。
 でも、やっていくうちに、ものの形をとらえるための見方の勉強だということがわかった。やればやるほど見えてくるものがあった。それは、ほお骨の形であったり、目の位置や大きさ形、ほほから口への形の流れ、目と鼻と耳の位置関係、顔から首へのつながり方など気付くことが増えていった。資料集に、顔の大きさに対する目や鼻、口の大きさの比率などが描いてあるが、それを見なくてもやっていくうちにちゃんと自分で気付いていくことができた。
 そして、形をとらえられてくると、いわゆるうまい絵に近づいてきた。

「見る」ということは、
・ 「もの」と「もの」との関係性を見ていくこと。
・ 観察して分析していくこと。
・ ここはこうなっていると判断し、形に表現していくということ。
・ 見ているものを形に表すということは、「私はこういうふうに見ていますよ。」という、そこに自分を介在させること。
・ 目だけで見るだけではなく、頭で考えながら見るということ。
・ 単に形を写すのではなく、形をみて考えるということ。
・ ぼ〜っとしていては見えないということ。
そして、絵を描くための勉強だと思っていたデッサンは、形をとらえるための見方の勉強であったことがわかった。
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by hita61 | 2010-08-05 00:04 | 武蔵野美術大学
 私は、今、彫塑の授業で人体頭部を作っている。今日は、午前中に粘土での人体頭部を終わらせ、午後は石膏型取りだった。
 粘土での人体頭部を作っているとき、内野先生の「もっと勇気をもて。」「失敗したっていいんです。またやればいいんです。やり直すことも勇気です。」という言葉を思い出した。

 何時間もかけて作り、ほぼ完成のところまできて、顔を作り直すのはかなりの抵抗があった。自分でちょっと違うことに気付いた。どうにかしてあまりいじらないで直せないものかとやった。せっかく作ったものを壊すことは嫌だった。それは、自分なりに時間もかかっていたし、自分でもまあまあよくできた形だったから。どこをどう直せばいいのかも分かっていたけれど、やっぱり壊すのは避けたかった。
 結局、私には、完成間際の作品を思い切り削ったり、形を変えたりする踏ん切りがつかなかった。

 先生が私のところに来て、話しながら口をもぎ取った。それから、鼻ももぎ取った。鼻は、また取り付けられるようにもぎ取ったけれど。
 とられちゃったからあきらめがついた。やり直したらよくなったし、ちまちま直すよりはやくできし、直しやすかった。違うと思ったらやり直した方がずっといいと実感した。
 「やり直すことも勇気」って本当だ。やり直すには、結構な葛藤がある。だから、子どもにやり直してみたら?って言うときも、そういう子どもの気持ちもくみ取ってあげないといけないなって思った。
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by hita61 | 2010-08-05 00:00 | 武蔵野美術大学
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 「ムサビる」の全体会議があった。ムサビるは、8月7日(土)、8日(日)に東京都東大和第二中学校を美術館にしてしまおうというプロジェクトだ。5月末から学生が実行委員会を立ち上げ、企画会議や全体会議、ランチミーティングなどを繰り返し、当日に向けて準備をしている。
 29日は、出品者が作成した作品の企画書をもとに、展示計画も練られていた。企画書をみたら、楽しくてわくわくしてきた。そうしたら、当日がとっても楽しみになってきた。ムサビ生は、本当によくがんばっていて、すごい。こういう経験をした学生が先生になったら、きっと、外にも目を向けられて、子どものためにすごくがんばれるのだろうなって思った。

 東大和第二中学校の美術科の未至磨先生もいらしていた。学生がやりたいことは、学校で可能かどうかなど一緒に考えていた。
 
 会議が終わってから、未至磨先生に話をうかがった。

1 どうしてムサビるをやろうと思ったのか。
 子どもたちは、果たして本当に感動しているのかという疑問から始まった。美術が好きなのかな、楽しいのかなと考えた。そして、子どもたちにもっと美術の広がり、楽しさを味わわせてあげたいと思った。美術館につれていくこともしてみたかったけれど、東大和市には美術館もなく・・・。そう思ったとき、じゃあ学校を美術館にすればいいと思って、ムサビに協力を依頼した。それが、5年くらい前のこと。

2 昨年、ムサビるをやって、生徒に何か変化はあったのか。すぐにすぐ結果に結びつくようなことではないことや、数値でははかれないものであることは、十分に承知していたが、私としてはやはり気になるところであった。
 ①空気や空間を感じ取ろうという気持ち、感覚で感じ取ろうという気持ちをもつようになったことは感じられる。
 ②よさや感動を人に伝える、人との関わりをもつ力がついてきている。
 ③美大生の存在が、新鮮で、刺激的で、親近感をもち、表現への意欲がわいたのではないか。
 ④レポートを提出させたが、たくさんの量が書かれたいた。レポートから、感じ方が多岐にわたっていて、心の琴線に触れたのではないかと思う。
と話してくださった。

3 大切にしていることは。
 「心をこめる」ということ。時間をかけて、心をこめてつくったものは、誰かの心に届く。そして、そうしてつくったものは、自分の心にも残る。人間が作るものだから心はこもっているべきだと思う。と子どもたちに話しているとのことだった。

4 先生にとって美術とは
 プロフェッショナルでありたいもの すきなもの こだわりをもっているもの 人にはゆずれない部分があるもの
 自分と向き合うことを通して、自分に自信をもつこと。自分のよさ、自分自身を知ること。
 それは、絵がうまいとかそういうことではなく、赤が好き、細かい作業が好き、粘土の作品にはこだわりがある、色はきれいぬりたい、など自分のいろいろな面を探していくものだと思う。物をつくることは自分を見つめることではないのかなとも話してくださった。

 「心をこめてつくったものは、誰かの心に届く。そして、そうしてつくったものは、自分の心にも残る。」が印象的で、使いたくなる言葉だった。
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by hita61 | 2010-07-10 00:22 | 武蔵野美術大学
 研修が始まって2か月半が過ぎた。
 今までの生活では、感じなかったことを感じ、考えなかったことを考え、見たことがなかったことを見て、知らなかったことを知って、出会うことがなかった人と出会うことができた。4月の時の自分と明らかに違っていることがわかる。それは、図工そのものや、授業に対する考え方であったり、ものの見方や感じ方であったり・・・いろいろである。これらは、私にとって大きな収穫であり、学びである。これからも、きっと、もっともっと大きなものを得られると思う。

 でも、いつも頭の片隅にあったのは、私の研修テーマをどう進めていくかだ。2か月半を無駄には過ごしていないし、大きな収穫はあったし、私には必要なことだったけれど、それが研修テーマにどうつながっていくのか、または、つなげていくことはできるのか、具体的なイメージがもてなかった。

 でも、やっと、私が本当に学びたかったことのために、具体的に何をしていけばいいのかが見えてきた。
 まず、熟達教師と呼ばれる先生方の授業から、子どもが働かせている能力は何か、どうすることが子どもの能力を伸ばすことになるのか、また、なぜそれが子どもが能力を発揮している、または、働かせていることになるのかを考察していくことにした。

 私は、子どもが自分の内面を表出し、生き生きと活動できるようにしたい。「あ〜、楽しかった。ふぅ。」って汗をぬぐうようなことができたらいい。もっと、思いっきり自分を出せるようになったらいいと思っていた。だから、そのためには、どうしたらいいのかを学びたかった。
 この学びたかったことは、児童の能力をどう引き出し、どう発揮させ、どう伸ばしていくのかを考えるのと同じことではないかと思った。「図工(美術)による教育」であること、「能力を伸ばすこと」がこの研修のキーワードになると思う。

 まだ、計画段階だし、本格的には動いてはいないけれど、私が進む道の方向は見えてきてよかった。
来週から、授業見学が始まる。
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by hita61 | 2010-06-16 00:14 | 武蔵野美術大学

6/8(火)考えるもと

 今日、美術教育法Ⅱで鑑賞授業の展開例があげられた。その中で、二つの彫刻どちらかを選択し、理由もあげて題名をつけるものがあった。
 私が選んだ彫刻は、泡立て器のように見えたので、「壊れたホイッパー」にした。でも、「壊れた」という言葉が気に入らなかったのと、泡立て器ほど金属のカーブしたものが多くなかったのでその題名はやめた。粘土を掻き出すへらの方があっていたから「粘土べら」にした。だけど、掻き出すのは粘土じゃなくて、空に向かっていたから空を掻き出すための「空のへら」にした。

 私は、自分の知っているもの、私にとって身近なものをもとに考えた。考えながら、「人は自分の知っていることや経験、身近なものから物事を考える」ということが思い浮かんだ。よく考えれば、当たり前のことだけれど、この時私は、あ〜本当にそうだなぁと実感した。だから、いろいろな考えや感じ方があるのだなとも思ったし、学校内外での体験活動を大切にするのも納得がいった。

 全員が同じ環境で同じように生きてきたわけではないので、いろいろな感じ方や考え方、見方がある。鑑賞で、友達の感じ方や見方を知ることは、自分の感じ方や見方を深めたり、広げたりすることになるけれど、それって、実際は同じ経験をしていなくても、時には、聞いたり、話したりすることでその経験を共有できることもあるのだろうと思った。
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by hita61 | 2010-06-11 02:10 | 武蔵野美術大学
 金曜日に、三澤先生に、もし、何も知らずにコピアートペーパーを渡されていたらどうだったろうかと聞かれた。
 私は、すでにできあがったものを見ていたから、透き通る物を置けばいいとわかっていた。また、どのようなものができあがるのかある程度の予想はついていた。だから、学生のと自分のを比べて学生の方がいいと思ったのではないか。何も知らずに、コピアートペーパーを渡されていたらどうだったろうかと言われた。

 何も知らずに、コピアートペーパーを渡されていたらどうなるか。
授業展開(導入)
1 「これから、この紙を配るから、この紙の上にポケットからでも、机の中からでも、
   筆箱からでもいいから、何か適当に置いておいてよ。」

2 感光する間、他の活動をする。

3 感光したら、「紙の上の物をどかして、今から配る画用紙に挟んでおいてね。」
  児童「なんか、黄色いのが残っているよ。」「何これ?」

4 「さあ、これから魔法をかけに家庭科室に行きます。」
  児童「何?家庭科室?何するの?」 
  画用紙に挟んだまま、家庭科室に移動し、アイロンをかける。

5 児童「え〜、紙にアイロンかけちゃっていいの?」
    「こげちゃうんじゃない?」
    「うわ〜、何これ、すげ〜。超きれいなんだけど。」
    「もう、先生、こうなるんだったら、ちゃんと言ってよ!言ってくれれば、
     もっと考えて置いたのに。」(関心・意欲・態度)

6 「あら、そう?じゃあ、今度の図工はこれをやるから、
   何をのせたらおもしろいか(発想)、どんなふうにおいたらかっこいいか(構想)、
   考えて材料集めをしておいてね。」

 ここから、学習が始まるのではないか。この方法で考えられるメリットは、
1 自分から学習を始めようとすることができる。
2 材料を集めようという意欲が大きい。
3 次の図工まで、児童は図工について考えることになり、授業以外でも図工と関わることができる。
4 身近なものから使えるものを探すため、ものを見る目が変わる。(鑑賞) 
5 できあがった物を見せてから試すより、感動が大きく、次への意欲も高くなる。
6 私がやったときのような学生と比べて自分の方が劣るという感情を抱くことなく、材料集め等次の活動への意欲をもつことができる。

次の図工で活動に入ったら、コピアートペーパーは一人3枚程度まで使ってよいことにする。
理由 試行錯誤させるため。
   制限をつけることで、工夫をさせることができるため。

こんな風に考えてみた。対象は、安全面から考えて、アイロンの使い方を家庭科で学習している小学校の高学年。
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by hita61 | 2010-06-06 23:47 | 武蔵野美術大学
 学生が教育実習の相談に研究室に来ていた。三澤先生が、コピアートペーパーを使った題材を紹介していた。
1 実物を見せてもらって、とてもきれいだった。
2 やり方が知りたくなった。
3 すぐにできて、簡単だと聞いた。
だから、一気に興味が湧いた。

 テンションが上がって、やる気満々になった。「やりたい。やりたい。」と騒いで、三澤先生に、コピアートペーパーを出していただいた。見せていただいた物は、コップに水が入っていて光の陰ができていたので、透き通るものを置けばいいと思った。

1 さっと紙を出して、「すぐやって。」と言われたので、とにかくはやくやらなくてはと思った。
2 棚の中やロッカーの上、ゴミ箱の中など研究室のいたるところから透き通るようなものを探して置いた。思わず「あっ、いいこと思いついちゃった。」と言ってしまった。この言葉を言ったときは、自分はすごい発見をして、私って天才という気持ちだった。得意になっていた。「あっ、いいこと思いついちゃった。」と言った時に見つけた物は使わなかったけれど、この時が一番楽しかった。

 物をコピアートペーパーの上に置き終わった後、学生がやったものを見た。そうしたら、あれ?ちょっと違う。こっちの方がいいかもって思ったら、少し、テンションが下がった。
 私は、紙の上に置く物集めに力の9割を入れていたのに対して、学生は、全体のバランスを考えて物を置くこともできていた。

 最後に、アイロンをかけて完成だった。アイロンをかけると陰や物の形がどんどん見えてきてわくわく楽しかったけれど、私は、上に置く物を見つけているときが一番楽しかった。
 一番楽しかったときは、頭がフル回転していて、他の人の言葉や動きが目に入らないほど自分の世界に入って、自分の意志で動いていたときだった。f0236373_22565592.jpgf0236373_2305196.jpg
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by hita61 | 2010-06-02 02:49 | 武蔵野美術大学
 今日の講義で、一番しっくりきたことは次のことだ。

美術による教育・・・美術の活動を通して人間的成長を図る
美術の教育・・・美術そのものを教える
美術家・・・作品制作などを通して経済的活動をする人、職業

「による」がすごく大切で、義務教育に図工・美術がある理由がとても短い言葉でよくわかった。そして、小学校は「美術による教育」だから
・結果に至るまでのプロセスが大切。
  その過程で自分で考え、判断していく。自分の中の価値づくりが行われる。
・作品を見るのではなく、作品を通してみる。
  だから、子どもに表したかった感じ、などを聞いたり、話したりしながら、作品だけでは分からないことをフォローしなければいけない。対話が大切。
・子どもにかかわっていかなければいけない。内面が分からないと評価はできない。

「による」とか「通して」とか、とても短い言葉だけど、深い。
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by hita61 | 2010-06-02 02:30 | 武蔵野美術大学
 武蔵美の学生の意見に、「学校では、子どもらしい描き方、活発そうは描き方を強要され嫌な気分だった思い出がある。チゼックの問答を読むとより自由に、見ずに描くようにとされている。自分は、見てしっかり描きたい、きれいに描きたいと思うタイプだった。こういうタイプの子はどうすればいいのだろう。」というものがあった。

 私は、本人が望むのであれば、望むように描かせてあげたい。でも、私は、再現的な絵を描いたこともないし、描き方の技術を教えるすべがない。きっと、小学校の先生で同じような悩みをもっている人は多くいるのではないか。

 5.6年生は、論理的思考ができるようになり、再現的な描写にあこがれる。それは、成長であり、そのようは表現の仕方を否定することはできない。

 ただ、教師としてもっていなけれなならないことは、
絵を描くことで培いたい能力→自分の考えをまとめ、表現する能力
絵で、児童が何を考え、どのように表したのか見ていく。ということだ。

 児童に考えさせたいこと
1 再現的な描写について→どうしてその作品がいいのか。何が魅力的なのか。
2 抽象的な絵など他の描写の絵を提示して→この作品にはいいところはないのか。
3 それぞれのよさを認めた上で、自分が表現したいことは何か。
            →どういう描き方が一番自分が表したい思いに合うのか。

大切なのは、自分が表したい思いになっていることである。
その上で、再現的な描写がよければ描けばよい。

そこで、問題が生じてくる。私には、再現的な絵の描き方の技術がないことだ。
だから、それを補う方法として、

1 写真をとる→トレース→形をとらえることができる。
2 技法の説明書などの児童に必要な資料を集める。

これなら、制作の経験のない私もできる。それに、そのような資料が多くあれば、いろいろな場で児童が使えそうだ。だから、本は図書室だけでなく、図工室に必要な資料を用意しておくべきだ。
本校の図工室には、有名な画家の本はあるが、技法がたくさん載っている本はない。だから、来年度学校にもどったら、子どもにもよくわかる絵や写真が多く掲載された本を図工室に準備したい。その時は使わなくても、そのような本を見ておくと「あっ、あれ使えそう。」となりそうだ。

しかし、ここで疑問がわいた。

 自分でいろいろな技法を研究し、自らの力で学びとって、自ら欲して再現的に描いた絵と、教え込み、とにかく描き込ませた再現的な絵を並べたとき、2枚の絵の区別はつくのだろうか。培われた能力は明らかに違うはずだが、それを見分けることはできるのだろうか。

作品に児童の言葉があれば、それを参考にはできそうだが、それだけではきっとわからなそうだ。そのような絵を見比べたことはない。もし、そのような絵があれば、その違いを見比べてみたい。
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by hita61 | 2010-05-29 22:51 | 武蔵野美術大学
 今、現場で必要な研修は「絵を見ること」だと思う。つまり、「絵の見方」を学ぶことだと思う。

 私は、三澤先生に何度も聞いたり、「子どもの絵の見方」(東洋館出版社)や「1億人の図工・美術」(カシヨ出版)や「よくわかる図画工作科学習指導要領ビジュアル解説 授業への生かし方」(開隆堂)を読んだり、田尾先生と奥村先生のメール集を読んだりして、やっと絵のどんなところを見ていけばいいのか分かってきた。分かってきたような気がするけど、今の私にはできない。たくさんの絵の中から、この1枚という作品を選び出す自信はない。本には、解説が載っているからこの絵ってわかるけど、その解説がなかったらきっとわからない。解説を読んでも、まだしっくりこないものもあるし。
 でも、絵をちゃんと見ることができるようになりたいし、ならなくてはいけない。だって、

1 子どもの絵の見方がわからないと、正しい評価はできない。
 その子が何を感じ、何を考え、何を思い、その感じたことや考えたこと、思ったことを表すためにどんな工夫をしたのかを読み取れないと、その子が発揮した能力が分からない。発揮した能力が分からなければ、評価はできない。

2 絵の見方が分かれば、どのような授業を展開すればいいのか考える手立てになる。
 絵から発揮された能力がわかれば、自分の授業改善につながるし、どうすることがつけたい能力に結びついていくのか考える手立てにもなってくると思う。
 
3 絵の見方が分かれば、児童理解にもなる。
 その子が何を感じ、何を考え、何を思っているのかを読み取れるようになれば、たとえ、言葉でうまく話せない子のことでも、今より分かるようになる。内面を見ることができると思う。

4 絵の見方が分かって、児童理解にも使えるようになれば、生徒指導にも役立つ。

5 生徒指導に役立てることができれば、児童相互だけでなく、児童と教師の人間関係づくりにも役立つ。

6 児童と教師の人間関係がうまくいけば、児童は先生のことが大好きになる。先生のことが大好きになると、他の教科も一生懸命に勉強するようになるし、話を受け止めて聞くようになる。

 絵の見方が分かれば、すべての教育活動に役立てることができる。その子のことをちゃんとみてあげられるようになる。だから、図工の先生とか、一部の先生だけではなくて、学級担任みんなが絵の見方を学ぶ機会が絶対必要だ。特に、小学校は学級担任が全教科を教えているのだから。

 「風が吹けば、桶屋が儲かる」みたいになっちゃったけど。でも、そうなんだ。
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by hita61 | 2010-05-25 01:43 | 武蔵野美術大学