図工について考え、これから勉強していこうと思っている小学校教師の日記


by hita61
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<   2010年 05月 ( 9 )   > この月の画像一覧

 武蔵美の学生の意見に、「学校では、子どもらしい描き方、活発そうは描き方を強要され嫌な気分だった思い出がある。チゼックの問答を読むとより自由に、見ずに描くようにとされている。自分は、見てしっかり描きたい、きれいに描きたいと思うタイプだった。こういうタイプの子はどうすればいいのだろう。」というものがあった。

 私は、本人が望むのであれば、望むように描かせてあげたい。でも、私は、再現的な絵を描いたこともないし、描き方の技術を教えるすべがない。きっと、小学校の先生で同じような悩みをもっている人は多くいるのではないか。

 5.6年生は、論理的思考ができるようになり、再現的な描写にあこがれる。それは、成長であり、そのようは表現の仕方を否定することはできない。

 ただ、教師としてもっていなけれなならないことは、
絵を描くことで培いたい能力→自分の考えをまとめ、表現する能力
絵で、児童が何を考え、どのように表したのか見ていく。ということだ。

 児童に考えさせたいこと
1 再現的な描写について→どうしてその作品がいいのか。何が魅力的なのか。
2 抽象的な絵など他の描写の絵を提示して→この作品にはいいところはないのか。
3 それぞれのよさを認めた上で、自分が表現したいことは何か。
            →どういう描き方が一番自分が表したい思いに合うのか。

大切なのは、自分が表したい思いになっていることである。
その上で、再現的な描写がよければ描けばよい。

そこで、問題が生じてくる。私には、再現的な絵の描き方の技術がないことだ。
だから、それを補う方法として、

1 写真をとる→トレース→形をとらえることができる。
2 技法の説明書などの児童に必要な資料を集める。

これなら、制作の経験のない私もできる。それに、そのような資料が多くあれば、いろいろな場で児童が使えそうだ。だから、本は図書室だけでなく、図工室に必要な資料を用意しておくべきだ。
本校の図工室には、有名な画家の本はあるが、技法がたくさん載っている本はない。だから、来年度学校にもどったら、子どもにもよくわかる絵や写真が多く掲載された本を図工室に準備したい。その時は使わなくても、そのような本を見ておくと「あっ、あれ使えそう。」となりそうだ。

しかし、ここで疑問がわいた。

 自分でいろいろな技法を研究し、自らの力で学びとって、自ら欲して再現的に描いた絵と、教え込み、とにかく描き込ませた再現的な絵を並べたとき、2枚の絵の区別はつくのだろうか。培われた能力は明らかに違うはずだが、それを見分けることはできるのだろうか。

作品に児童の言葉があれば、それを参考にはできそうだが、それだけではきっとわからなそうだ。そのような絵を見比べたことはない。もし、そのような絵があれば、その違いを見比べてみたい。
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by hita61 | 2010-05-29 22:51 | 武蔵野美術大学
 埼玉県立近代美術館で、学芸員の方に、企画展の決め方や企画展が開催されるまで、海外から絵をどのようにしてもってくるのか、展示の仕方などを教えていただいた。
 3年くらい練られた企画もあること
 企画会社もあること
 現地に赴いて作家の生まれ故郷を訪ね歩いたり、作家の作品への思いを聞いたりすること
 現地で作品を箱に入れるとことを見届けること、
 現地に美術品を運べる運輸会社がなければ、外国の運輸会社を手配することもあること、
 場合によっては護送車がつくこともあること、
 税関通過などを見届けること
 絵を貸し出すときは、美術館の人も同行すること、    など

たくさんの時間と労力とお金がかかっていることがわかった。
こういう話をちょっと子どもに話すだけで、興味をもちそう。
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by hita61 | 2010-05-26 23:58 | 埼玉県立近代美術館
 私には、図工・美術に関する専門性がないことを自分でも十分に分かっている。私がもっているのは、幼稚園と小学校の教諭免許だ。中学校の教諭免許はもっていない。だから、一つの教科を深く追究したこともないし、制作の経験もない。そして、教科の専門性がないことがコンプレックスにもなっている。

 昨日、あるところへ行ってきた。
 教科の専門性があるからといって、いい授業はできないと実感した。でも、いい授業をするために、専門性はあった方がいいことはよく分かる。

 大切なのは、
現状に満足せず、どうすればもっとよくなるのかを常に考えながら、子どもと向き合うこと。
社会が変化するように、教師も教育に関する様々な情報を集め、変化に対応しなくてはいけないこと。
だと、思った。

 だから、私は自分に足りないものがあることもよく分かっているし、それを埋められるようにがんばるのだ。私に必要なのは、アンテナを高くして情報を集めることだ。

 学習指導要領は、できた時点でもう過去のものだ。でも、何年もかかって、未来を生きていく子どもたちに必要な力を身につけさせるために考えられたものだ。だから、学習指導要領を根拠にして、学習展開を工夫していかなければいけない。
 大切なのは、見た目ではない。どんな能力がつけられたか、伸ばせたかだ。これって、ちょっと絵の見方と似ているかも。
 
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鷹の台駅から武蔵美までの道
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by hita61 | 2010-05-26 23:35 | 他の場所
 私が、研修に出て2ヶ月が過ぎようとしている。自分の研究テーマの進捗状況とか、もう1年の1/6が過ぎてしまったという考え方をすると、焦ってしまうし、下を向いたまま顔を上げられない。でも、現場では感じられなかったこと、気づけなかったこと、考えなかったことを私なりに、感じたり、気づいたり、考えたりしている。3月までの私と、たぶん、ものの見方も考え方も違っている。

 4月、武蔵美にきて、大学の教授たちが何を話しているのかさっぱりわからなかった。カタカナの言葉とかたくさん出てきてたし、それが人の名前なのか、何かを意味する言葉なのかもわからなかった。だから、何を話していいのかもわからなかった。その場にいても、蚊帳の外だ。一人取り残されたような気持ちだ。唯一わかったことは、「私は、何もわからない。」ということだった。無知の知だ。
 その時は、わからないことが嫌なのではなくて、わからない自分がだめな人のように思えて、嫌だった。誰も私のことを否定しないし、やさしくしてくれるけど、自分で「できない人、だめな人」って思えて、私を否定されたような気持ちになった。
 今も、分からないこと、知らないことだらけだけど、そんな自分を卑下していない。分からないから分かりたい、知らないから知りたいって思っている。

 今日、4月の時の気持ちが思い出され、子どももこんな気持ちなのかもしれないと思った。そうしたら、すごく悲しくなった。
 勉強が嫌いって言う子や、輪に入れない子、輪に入らない子などがいる。いろいろな状況があるけれど、きっと4月の私みたいな気持ちになってしまっている子もいる。

気持ちがないわけではないけど、何を言っていいのかわからない、何をやっていいのかわからない
その話題について知らないし、話の展開についていけない

悲しいのは、これらの事実ではなくて、このことによって、自信がなくなってしまうこと、自分を否定してしまうこと。

私は、分からない自分を受け入れ、だから研修にきているって思って復活した。

子どもの場合は、今までの人間関係とか、家庭環境とか、学習状況とかいろいろ複雑に絡み合っているから一概にこうすればいいって言えないけれど、ただ、もし、4月の私みたいな気持ちになっている子がいたら、すごく悲しいし、手をさしのべてあげたい。
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by hita61 | 2010-05-26 08:57 | 他の場所
 今、現場で必要な研修は「絵を見ること」だと思う。つまり、「絵の見方」を学ぶことだと思う。

 私は、三澤先生に何度も聞いたり、「子どもの絵の見方」(東洋館出版社)や「1億人の図工・美術」(カシヨ出版)や「よくわかる図画工作科学習指導要領ビジュアル解説 授業への生かし方」(開隆堂)を読んだり、田尾先生と奥村先生のメール集を読んだりして、やっと絵のどんなところを見ていけばいいのか分かってきた。分かってきたような気がするけど、今の私にはできない。たくさんの絵の中から、この1枚という作品を選び出す自信はない。本には、解説が載っているからこの絵ってわかるけど、その解説がなかったらきっとわからない。解説を読んでも、まだしっくりこないものもあるし。
 でも、絵をちゃんと見ることができるようになりたいし、ならなくてはいけない。だって、

1 子どもの絵の見方がわからないと、正しい評価はできない。
 その子が何を感じ、何を考え、何を思い、その感じたことや考えたこと、思ったことを表すためにどんな工夫をしたのかを読み取れないと、その子が発揮した能力が分からない。発揮した能力が分からなければ、評価はできない。

2 絵の見方が分かれば、どのような授業を展開すればいいのか考える手立てになる。
 絵から発揮された能力がわかれば、自分の授業改善につながるし、どうすることがつけたい能力に結びついていくのか考える手立てにもなってくると思う。
 
3 絵の見方が分かれば、児童理解にもなる。
 その子が何を感じ、何を考え、何を思っているのかを読み取れるようになれば、たとえ、言葉でうまく話せない子のことでも、今より分かるようになる。内面を見ることができると思う。

4 絵の見方が分かって、児童理解にも使えるようになれば、生徒指導にも役立つ。

5 生徒指導に役立てることができれば、児童相互だけでなく、児童と教師の人間関係づくりにも役立つ。

6 児童と教師の人間関係がうまくいけば、児童は先生のことが大好きになる。先生のことが大好きになると、他の教科も一生懸命に勉強するようになるし、話を受け止めて聞くようになる。

 絵の見方が分かれば、すべての教育活動に役立てることができる。その子のことをちゃんとみてあげられるようになる。だから、図工の先生とか、一部の先生だけではなくて、学級担任みんなが絵の見方を学ぶ機会が絶対必要だ。特に、小学校は学級担任が全教科を教えているのだから。

 「風が吹けば、桶屋が儲かる」みたいになっちゃったけど。でも、そうなんだ。
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by hita61 | 2010-05-25 01:43 | 武蔵野美術大学

5/20(木)日本画

 今日は、金工でお世話になった教授の個展に行った。教授の鉄鍛造と教授の奥様の日本画の二人の個展だった。日本画について教えていただいた。

 和紙に描くこと
 消しゴムで消すと和紙が痛むので、別のところにスケッチをしてカーボンで写すこと
 スケッチをカーボンで写すので同じ下絵を何枚も描くことができること
 下絵は墨でかくこと
 きらきら光って見えたのは、岩絵の具の粒子が粗いから、
 粒子の大きさによって発色の仕方が違う
 粒子が粗いと、重ねて塗ったとき下の色がすけて見えること
 スケッチを何枚かしてそれをいろいろ組み合わせて構図を考えたこと
 箔貼り方と箔をわざとやぶいて貼ることもあること
 銀箔に610ハップをぬって、アイロンをかけて色をかえること、それを「やく」ということ

 610ハップは銅の小物入れに色を付ける時に使った。それを日本画でも使うからおもしろい。
 
 4月に小野竹喬展で日本画を初めて見た。その時は、「こういう絵も日本画なんだな。空の色がとてもきれいだな。」と思った。今日は、日本画を見ることが楽しかった。今まで、きれいだなって思ったことはあっても、楽しいなって思ったことはなかった。その場を立ち去りづらい絵に出会ったこともあるけど、やっぱり楽しいっていうのとは違った。

 私が楽しいって感じたのは、
 絵を描いた本人と話せたからが一番大きい。
 それから、
 どうやって描いたのかその背景がわかったから、
 描き方が少しわかったから、描いた順番や着色の仕方を考えながら見たから、
 作品をすご〜く近くで見ることができたから
 絵のごつごつを触らせてもらったから
 日本画の幅は広く、いろいろは表現方法があることを知ったから
 つまり、身近になったから。

 旅するムサビが6月10日に茅ヶ崎で行われる。先日、学生の練習の様子を見ていたら、楽しくなった。学生がファシリテーターをするものだけど、私がやりたくなった。

 私は、作家と話して、知りたいなと思ったことを聞けたし、新しく知ることもできて、楽しくなった。それに、どうしてかな?って考えて、他の人の見方を知るのも楽しい。きっと茅ヶ崎の小学生も絵を見ることが楽しくなる。本物を間近で見て、描いた人と話ができるっていうのがすごく魅力だと思う。
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by hita61 | 2010-05-21 00:32 | 他の場所
  4月の始めに、三澤先生に「私はどういう絵がいい絵なのかわからない。本当にいい作品を、私は落としていたのではないか。美術展で、なぜその作品が特選なのかがわからないことがある。これがいい絵なんだと言えるようになりたい。」と話したことがある。その時、三澤先生が「1億人の図工・美術(カシヨ出版センター)」に掲載されている6年生が描いた「ちょうが町を旅する」を示して、「これ、すごくいいでしょ?」とおしゃった。指導者の言葉を読んで絵を見たけど、私には、どうしてその絵がいいのかわからなかった。
 「子どもの絵の見方(奥村高明 著 東洋館出版社)」にも同じ絵が掲載されている。でも、やっぱりピンとこなかった。
 今日、三澤先生から、指導者の新座市立八石小学校の田尾先生と文科省教科調査官の奥村先生との「ちょうが町を旅する」についてのメールでのやりとりを見せていただいた。A4の用紙11枚にもなるものだった。
 まず、1枚の絵についてこんなにも多く語れることに驚いた。そして、作品からどのように評価をしていったのかがとてもよくわかった。

 子どもの目線にたつこと、子どもの目線を追うこと
 子どもが何を感じ、どんな発想をし、どういう技能を発揮したのかをとらえようとすること
 描いた順番をたどることは、子どもの発想や思考のプロセスに身を重ねること
 表現にとって合理的なのは、論理的でなくても、その子にとって感じたままあるように描くこと
 見たものをそこに「あるように」描くこと
 子どもとの会話の仕方

 私は、このメール集を読んでだからこの作品がいいのだと納得できた。
 雲が電線の前に重ねて描かれているところを「真上の雲と向こうの電線ではおそらく人は真上の雲を自分の身には近いと感じているのだろう」と解釈していた。これを読んだ時、思わず「わかるぅ!」って言ってしまった。その情景が浮かんで、そう描きたくなる感覚がよくわかった。そして、そんなところからも子どもの感じ方を読み取れるなんてすごいって思った。私もそういうふうになりたい。

 「子どもの絵の見方」に掲載されている絵を見て、自分なりに解釈してから、子どもの作文や奥村先生の解釈を読んだ。絵を見ることは、楽しいけど、私にとっては難しくて、時間がかかって、たくさん考えるから疲れる。でも、学校に行ってちゃんと子どもの絵を見たくなった。
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by hita61 | 2010-05-20 02:28 | 武蔵野美術大学
 出光美術館とサントリー美術館に行った。出光美術館では「茶 tea 喫茶のたのしみ」と題して、茶道具、煎茶道具、書画などの展示を、サントリー美術館では「和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち」と題して、ガラスでできた皿、盃や徳利、くし、かんざし、文房具、虫籠などの展示をしていた。

 サントリー美術館の和ガラスの美しさには心惹かれた。はじめは、ヨーロッパのガラス器に憧れて、日本で始められたガラス器作りであった。それが、ちゃんと日本らしさが加わって日本の文化になっているところがすごくいいなと思った。

 絵や金属で飾らない、ガラスの色の美しさを引き立てているシンプルなデザイン
 硯箱のガラスピーズ飾りの緻密さ、
 花瓶や徳利などの曲線の美しさ、
 虫籠や鳥籠の柵を細いガラスで造った細やかさ、丁寧さ
 作品全体から漂う清潔感、
 そして何より、涼しさを感じてほしいといった相手に対する、おもてなしの心

こういう日本人の美意識が感じられた。心が洗われるようだった。
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by hita61 | 2010-05-18 00:09 | 他の場所
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 千葉県九十九里にあるスガハラガラスの工場見学に行った。手作りガラスは、宙吹きでつくり、同じ物がない1点物だと思っていた。しかし、型吹きによって同じ物が作られていると知り、違和感があった。型吹きの様子をずっと見ていたが、製品にならない物が思っていたよりも多くあった。その時のガラスの状態によって違うらしいが、私が見ていたときは4割くらいは壊されていた。製品として売られている物はかなりの優等生なのだ。
 チェコやベネチアには、女性の職人はいないこと、日本も昔は労働基準法で女性はガラス工場で働けなかったことを知った。
 せっかく九十九里まで行って、現場を見てきたし、説明も聞いたし、新しく知ったこともあったし、工場の暑さも知ったけれど、いまいち感動はなかった。本物を見てるのに、私にはテレビを見ているようだった。九十九里に向かう途中、電車の中で、ふと気づいたら外の景色がビルから木だらけになってたことの方が感動した。
 職人さんと直接話ができたら、職人さんの作品への思いを聞けたら、私にとって身近になり、もっと興味を持てたのかもしれない。
 隣接するショップには、きれいなガラス製品がたくさん売られていた。すてきって思ったものは、2.3万円くらいした。製品になるまでに手間ひまがかかっているので、安くはできないこともわかる。でも、買うまでには至らなかった。それが洋服だったらきっと買っていたと思う。価値観の違いって、こういうことなのかな。私もいつか、手作りガラスで優雅な気持ちを味わいたくなる時が来るのかもしれないし、こないのかもしれない。
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by hita61 | 2010-05-16 23:57 | 他の場所